芝居とキネマ館融通座宇和島の芝居の歴史は古い記録に載る所のものは慶安4年頃の鹽屋新田(現在の槇本本店の横)に芝居が行われたとあるから今(昭和2年頃)から250年前後前。当時は神様と言えば宇和津彦神社があるばかりで、(和霊神社はまだない)毎年九月の祭礼に当 ...

もう何年も前、セイコウさんと風呂屋横丁ってどこやろ?と話していた。何も資料がなくて(樽屋町付近は判ってたかな?)偶然、セイコウさんがお客さんから聞いたのはかつて、セイコウさんの理容店があった愛宕町だった!灯台下暗し「南予の民俗5」(昭和37年発刊)のあと ...

こんなに広いのは学校跡だと思う考は百行の本昭和19年1月久世亀松これが学校の遺跡か?沿革明治7年9月 田部浦学校としてオカザキに開校 18年4月 明治学校と改称 21年1月 田部簡易学校と改称(田部、神崎、二浦の児童通学す) 42年4月 校舎新築落成(カ ...

田部の石仏地四国の石仏と思われる三好佐馬瀬戸町誌によると三好佐馬安政6年、2月3日、正記の長男として田部で生まれた。明治16年25歳に三好家6代目当主として家業である農業及び漁業を継ぐ。農地や区5町歩を所有し、漁業はいわし網、鯛網を有する網主として大勢の ...

狭い道を行く。だんだん狭くなるようだ看板が左 国道に出る道右 小島右が海岸に降りる道であろうしかし、左の道を行くシャッターに絵小島には寄らず、左へ振り返ったところここより田部への道が、狭隘で、このように木が倒れかかったりあまり車も通らないようだったたまに ...

これより古島方面へ橋があった(振り返ったところ)少し引き返す古い電柱あり昭和36年3月なんと、私が生まれた翌年古そうな橋ひらみはし平見橋昭和36年8月平見橋カートを押して歩く人あり農協関係の倉庫か少し先にも橋あり中の川橋なかのかわはし志津の集落暫く明るい ...

湾の向こうに鳥居で、手前にも鳥居青石の石碑?大波〇改修工事記念碑当時の区長昭和22年藤?原七三郎松代栄大正11年と昭和54年「なお境内には鳥居一柱ただし、大正11年旧6月と昭和54年10月の二本の柱で再建されたもの」(瀬戸町誌)志津の町並寄付記念碑神明神 ...

志津ポストのある建物農協関係の建物かバス停の標識あり右 志津港築港が見えたいい天気だ絵になる橋があったアーチ橋浮遊するごみが港に自由に出入りするのは、ある意味不穏な行為なのかもしれないと、いいつつ錆びた碇ゴミがすごいほとんど生活ごみ漁業関係込みも(ウキと ...

小島 志津 大江国道へ出る道へこの正面が国道への道左、町道こちらが町道里道改修の記念碑功労井上善次郎氏昭和8年瀬戸町誌1069ページに詳しく解説されている慶応元年5月28日、父仲蔵、母ツユの二男として元三机村大字大江56戸786番地に生まれる大わらじが吊 ...

佐田岬半島ミュージアムから三机湾を望むこの峠を何度くぐっただろうこんなところに石碑があったか藤村儀作の碑明治28年とあるが日清戦争か掘割の旧跡佐渡は霞みけり 松根東洋城朝霧や海を限りし伊予の鼻 正岡子規役所を通ってそのまま県道255号を行きます中尾城跡前 ...

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