吉田のフジから、吉田大橋の向こうのたもとに親柱が見える
2008年に横堀を歩いてて見つけたが、当時は何なのか判らなかった
横堀
藩政時代、立間川を人工的に河内川までつないで堀にした。
吉田ではこれより北を「上」と言い、南を「下」と呼ぶ
かつては士族と商家と分かれていたらしい。
かつて、吉田大橋の掛かる以前にあった橋の親柱
今も現存する古い親柱
昭和47年3月
国道56号線が全面的に大改修された時期だ
吉田の古老なら誰でも知っている
正式名称は「三輪(みつわ)橋」と言うらしいが、今は亡くなった吉田町議も務めた、老舗洋品店の古老に聞いた時は「かんづめばし」という呼び名を使っていた。
社長の朝家さんの息子とは同級生だったとも言ってた。
既に過去に紹介した親柱だが、大きい写真が無かったので再取材
昭和八年三月架
築港七八一米
さらに裏に回れば
向って右 三輪橋
中央 ロゴの三輪が描かれている。
左 大正七年初冬
第?三架換
ずっとここに鎮座してる親柱は堂々として見える
かつての橋台は、ここだったのかな?
吉田大橋の下をくぐって、河内川と合流す
その下流の名も「立間川」
御蔵前橋から缶詰橋
フジの隣には、このような商店街
上はアパートで、下は店舗
ここの餃子は美味しいらしいね
愛媛新聞エリアサービス吉田あり
ここは藩政時代、十本松峠を経て、三間から運ばれてくる米の蔵があった。
故に、国道を挟んで架かってる橋は御蔵前橋と言う。
この辺りは明治以後、役所や警察署、裁判所などがあったらしい。
村井幼稚園に行く道
案内図など
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