某月某日
コロナのため、開催を問題視されたまーきみ祭り
世間のコロナ対策に異を唱えるつもりは全くないが
飲食物は、ペットボトルと弁当だけ
以下、私文
コロナは色々な思いを我々に
いや、人様を巻き込むのはやめよう
自分自身に色々な思いを残した
悔しくもあり、情けなくもあり、もともとちっぽけな自分の存在が、より矮小化されたような気持になった。
毎日、誰もいない舞台に立たされているようなやり場のない悲しみと怒りと無力感に包まれた
決してその人が悪いわけではないが、知事や市、町長の毎日の言葉が、死刑宣告のように響いたこともあった。
決して彼らが悪いわけではない。国や県や市が、何もしてくれなかったわけでもない。
ただ、コロナに関して声を大にして「正論」を言えるのは「強者」だけではないかと言う疑問は今も持ち続けている。
そんなどうしようもない抵抗感が、そんなことを決定したのか。
未だ分からない。良かったのか悪かったのかさえも
敢えて傲慢を言えば、生きるため必要な暴挙だったのかもしれない
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