久々に九島へ
昭和45年4月1日統合
九島中学校跡
宇和島市教育長 大野利文
統合当時、中学3年だった方の話では、在校生と九島出身の生徒が毎日喧嘩ばかりしていたと聞いた。
私が入学した昭和47年は、みんな仲良くニコニコしてた記憶しかない。
明治時代は、本九島と百ノ浦に小学校があったらしい。
昭和9年4月 宇和島市立とある
合併は8月なので、或いは4月に遡って改称されたのかな
九島幼稚園
全日制にいなったのは昭和42年から
それまでは公民館経営で、逆に土日だけだったと聞いたような
校訓
自主 協同 勤労
ここを上る
郵便局と交番が見える
甘夏が熟れかけている
観音様が見えてきた
白い観音像
献歌
観世音菩薩英魂碑由来
霊峰鳥屋ケ森を背にして、紺碧に浮かぶ養殖筏を眼下にのぞむ九島の聖域お伊勢山の地にその妙相を示現し給う白衣観世音菩薩像は九島青年学校教練指導員九島尋常高等小学校訓導として奉職された松浦玄山(正雄)先生が祖国繁栄の礎となった教え子達への鎮魂の祈りを込めた渾身の作にして多くの戦争遺族、帰還者の尽力を以て、昭和43年2月11日建立開眼されたものである。
以来161名の九島出身戦没英霊の勲功を顕彰し報恩感謝の念とともに追悼の祈りを捧げるべく、毎年建国記念の日を期して、遺族会はもとより、3地区自治会、島内各団体代表らその足下に集い全島を挙げて盛大なる慰霊祭が連綿と厳修されている。
本年あたかも終戦60年の節目を迎えるな当たり、満開の桜吹雪のなかであらためて英魂の真前へ哀悼の誠を献じるとともに、大慈大悲の観音妙智力を念じて我等が故郷この九島の地より久遠の世界平和と一切の衆生菩提を切に祈願し申し上げるものである。
平成4年吉日 九島遺族会建立
42お伊勢山
後方に祠
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