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山下女学校の位地は


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本町通を北進した突き当りを西へ


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旧医院から見える


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あの建物(格技場)の奥である。剣道部と柔道部


山下グラウンドとして、テニス部とかが使っていたかな。

他に、相撲部とか、弓道部もいたかな

我々が居た1978年頃の情報なので、違ってるかもしれない


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さて、今回は国道側

かつての正門から行ってみよう


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あの山は石場


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山下女学校の校門は、北に面している。


以下、吉田町誌(下巻)引用
「沈みつ浮つ」(山下亀三郎著)の中に「母を作る女学校」と題した一節がある。
大変な母思いであった山下亀三郎氏は、吉田に女学校を創設し、ついで母の生地三瓶町に第二山下女学校を設立したが、いずれも慈母の恩を記念する心のあらわれであって、その目的とするところは、「母を作る女学校」すなわち「習った事が皆使われるような学校」をつくることにあった。

(中略)

山下高女は、大正六年四月一六日、第一学年三十一名、第二学年(高等小学校卒業生)三十二名を迎えて始業式を行った。

設備の一切は山下氏の寄附によって賄われた。

校地は、旧御竹蔵、特に校門を北面にして御陣屋側に面したのは、暗に虚栄心を戒めようとする山下翁の心が尊重された結果と言われている。

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この先に国安川


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国安川は、立間川と河内川を繋いで北面の堀とした。

校歌に「流れ尽きせぬ国安の」と歌われている。(坂村真民作詞)




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コンクリートの下はレンガ

おそらく、女学校の物と思われる

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正門の向こうは、国安寮


註 
山下高女は三年程の実科高等女学校であり、その学科課程は実科高女の制のに準じた事はもちろんであるが、家事実習ことに裁縫に重点をおき、実業教育としては、養蚕、果実栽培など地方に即した実習を主としたところに特色があった。
(後略)

その後の変遷
大正十三年  四年生高等女学校に組織変更「山下高等女学校」と改称

昭和二十三年 学制改革により新制高等学校となり、校名、山下高等学校となる

昭和二十五年 愛媛県立高等学校に合併され、その歴史に幕を閉じた

「合併後旧校舎は、普通科教棟として利用されてきたが、のち吉高校舎の改築によってすべてが廃され、今では昔日の面影を求めるべきすべもない。
旧校門を入ってすぐ右手の松の根方に、一基の歌碑がある



sasaki

ささき整体施術院



愛媛県宇和島市坂下津乙18-5

電話番号 0895-23-7177

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