岩松川右岸から、対岸をしみじみ眺めたことは無かったな。
大畑旅館が見える
西海にある「南豫タクシー」とは別物である。
その向こうに「新橋旅館」ってあったよな?
「思いきや伊予の涯(はて)にて初硯」
涯(はて)にて、は
涯(はて)なる
涯(はて)より
と、変えることも可能だが
「にて」が本来、文六が此処に居るのは自分ながら予想外であったことが読み取れる。
「この冬(昭和21年)は、この地方の異例な寒さで、毎日、必ず、霙か霰が降り、北風が、音を立てて、家を揺すった。私はこんな正月は早く過ぎればいいと、書斎に籠って字を書いていた。土地の人が色紙を持ってきたので、何か書かねばならなかった。
私は、そんなものを頼まれると、書くことが無いから、出来もせぬ俳句を、急増するのを、常とした。そういうとき以外に、殆ど、句作などをしたことが無かった。
獅子文六は、足掛け二年、この地に住んだ。
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名古屋の会社に就職したとき、上司が大番の話をしていました、