これより、下流へ
広田村
旧広田村(現砥部町広田地区)は砥部町南部の山間部に位置し、東側を久万高原町と、南側を内子町と、西側を伊予市と接する。江戸時代には松山藩との替地を経て、多居谷(おおいだに)、猿谷(さるたに)、総津(そうづ)、中野川(なかのかわ)、玉谷(たまたに)、満穂(みつほ)、栗田(くりた)の各村が大洲藩に、高市村が新谷藩に属していた。明治維新後の明治23年(1890年)、町村制の実施により、それまで出渕(いずぶち)村(現伊予市)に属していた栗田が他の7か村で構成される広田村に編入されるとともに、村役場が総津に設置された。昭和4年(1929年)の境界変更により、栗田の区域が中山町(現伊予市)へ編入されるが、以後、行政区画の変更はなく、平成17年(2005年)に砥部町と合併するまで広田村として存続した。
データーベース「えひめの記憶」
あ
馬頭観音らしい
グーグル地図では田渡川となっているが、これは誤りのようだ。
無論この高欄は近年のものと思われる
交番
おや?
つづく
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