カテゴリ:宇和島・南予タイムスリップ

立間某所、大河内に向かう県道沿い   写真整理してて見つけましたが、なんと2009年12月、一昨年の写真だった。 その写真を基に探すと ここに間違いない。残念ながら建物滅失 その、破れた古いポスターに・・。 自由党公認 縣會議員候補者 清家盛義 「自 ...

南豫護国神社境内にある「東宮殿下御野立」 大正11年11月25日 東宮殿下御巡遊の時当所に於いてお慰め物ご覧あらせらる 大正11年に、当時皇太子だった昭和天皇が宇和島に来られたとき、宇和島中学で宇和島市周辺の人々の奉迎を受けた後、当時鶴島神社だっ ...

南豫護国神社の一角にある歌碑 大和田建樹先生歌(碑) 伯爵 二荒芳徳(謹書?) 伊達家9代目藩主伊達宗徳の九男、大正時代宮内庁書記官として東宮殿下宇和島巡行の折随行 伊吹町の八幡神社の鳥居の扁額も彼の揮毫である。 間口は広いが奥行き無し 城辺の諏訪 ...

宗門改帖 その寺の信者である事の証に寺院の印を押す。 これが藩政時代の「戸籍」にあたる。寺院が関係しているのは隠れキリシタンの防止のためか? おぉ! ちゃんと「切支丹」と書いてある。 明治3年はまだ、キリスト教は禁制だ。 思えば不思議だなぁ ...

宇和島市新町の一角に、高野長英の住居跡がある 昔は裡町五丁目であったと思われる。 現在工事が行われているが、公園として整備されるらしい。 瑞皐(ずいこう)高野長英先生居住の地 後藤新平書 後藤新平は長栄と同郷の後輩で、鉄道院総裁も勤めた ちなみ ...

某所で「南豫史」発見 以前、宇和島市藤江の多賀神社に参拝した折、先々代宮司、久保盛丸氏の書いた本 大正天皇、皇太子殿下(昭和天皇)へ御高覧を願い出たとの記録がある。 多賀神社 若き日の盛丸氏 彼が凸凹神社の創始者である。 内容は、宇和島を始 ...

こんなものを発見! 玉津村 宮の浦の消防ポンプ 玉津村は昭和30年に吉田町、喜佐方村、奥南村、立間村、高光村のうち知永地区と共に合併し、吉田町になった。 それまでは東宇和郡に属した 玉津村村長は、合併後初代の町長に就任した。 玉津村 明治の初め - 白 ...

市立中央図書館で、大正ー昭和初期の古い地図を見つけた お願いしてコピーしてもらった かなり、時間がかかった 恐縮です!( ゚д゚)ノ(梨元風) で、貼り合せ作業をしてて驚いた 広いので、一枚の地図を2枚ないし4枚に分割コピーしなけれ ...

宇和島市立宇和津小学校、宇和津幼稚園の敷地内に 家政女学校の碑がある。 愛媛県立宇和島高等家政女学校跡 同校は、宇和島第二高等学校(宇和島高等女学校)と合併して「宇和島南高等学校」が創立される昭和24年頃までこの地にあった。 その後、この地 ...

宇和島で最初の中等学校は「変則中学南予分校」明治9年10月発足場所は丸の内、豊後橋を渡った堀端、現在の御殿町にあたる。「変則中学南予分校」があった場所(丸穂村字鶴島・当時)その後宇和島の中等教育は、明治初期の「朝令暮改」を経て同32年「宇和島中学」が発足 ...

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